原題は『Whiplash』——日本語にしたら「鞭打ち」ですからね(笑) 邦題の「セッション」は結果として絶妙で、ラストシーンを観ると「ああ、セッションだ」と自然に思います。
まず、原題にもなっているジャズ曲『Whiplash』の話をしておきたいです。 ハンク・レヴィという作曲家による難曲で、ひとつの曲の中で何度も何度もテンポが変わり、演奏者たちを惑わせます。 この映画の中でも何度も演奏されますが、気づけばその「テンポのズレ」が、師弟関係のズレにも、ガールフレンドとの関係のズレにも、人生のリズムが狂い始めるアンドリューの内面にも重なって見えてくる。 一本の曲を映画タイトルにするだけでなく、曲の「構造」を物語の骨格に組み込んでいる映画は、なかなかないと思います(当社比)。
英語で最悪の言葉は『Good Job』。
その意味は、最後まで観たら分かるかもしれません。
アメリカNo.1の音楽大学・シェイファー音楽学校。地元では神童と呼ばれた学生が全国から集まってくる場所で、地元の天才を寄せ集めたら、ほとんどがただの人になります。年に数人だけが抜きん出る。
主人公アンドリュー・ニーマン(マイルズ・テラーさん)は、その数人に入ろうとするドラマーです。 天才指揮者テレンス・フレッチャー(J・K・シモンズさん)に名指しされる瞬間の、背後の主演奏者の茫然とした背中。その向こうのアンドリューの、得も言われぬ表情。ここから彼の人生の方向が全部変わります。
J・K・シモンズさんがあまりにも良い。 楽器を投げつけ、罵倒し、ときに優しく、ときに残酷。 頰の筋肉のアップだけで、その場の空気を支配できる名優です。 物語だと分かっていても不愉快なシーンで、それでも目が離せない(笑) 「スパイダーマン」シリーズや「スティーブ・ジョブズ」でもご存知の方は多いと思いますが、この役が、たぶん彼の最高傑作(当社比)です。
物語は後半に転換点を迎え、そしてラスト。 演奏される曲は『Caravan』——フアン・ティゾルとデューク・エリントンが書いたジャズの名曲です。 ただし、この映画で鳴るCaravanは別物です。 9分間の演奏が続き、ドラムソロに突入したとき、アンドリューとフレッチャーの視線が交錯します。 あの瞬間、二人の関係は何に変わったのか。
観終わった後の爽快感が、悔しいほどあります。 ビッグバンドが好きなら絶対に観てほしい。音の良い環境で、できれば映画館で観たかった一本です。
本作でデイミアン・チャゼル監督と初タッグを組み、後に『ラ・ラ・ランド』(2016年)で アカデミー賞作曲賞を受賞する俊才。Whiplashでは激しくも精密なジャズスコアを書き上げ、 ドラムの打音と指揮者の息遣いが映像と完全に一体化するサウンドデザインを実現している。
バーンと扉を突き飛ばして入ってくる指揮者。楽器パートごとに音を聞かせ、 ドラムパートでアンドリューを名指しする。緊張が臨界点を超えた場で流れる Whiplashは、何度聴いても「始まり」の合図として機能する。 一曲の中で何度もテンポが変わるこの難曲の構造が、のちに師弟関係の 「ズレ」と完全に重なっていることに、二度目の鑑賞で気づく。
「速い、遅い」と怒鳴り続けるフレッチャーの前で、アンドリューは手が血まみれに なるまで叩き続ける。ここで流れるスコアは激しいドラムの打音と表裏一体で設計されており、 音楽なのか効果音なのか、境界が溶ける。限界を超えることへの恐怖と快楽が 同じ音で表現されるシーンとして忘れられない。
フレッチャーが仕掛けた罠の中で、アンドリューがドラムを叩き始める。 曲はジャズのスタンダード『Caravan』。演奏が続くうちにドラムソロへ突入し、 カメラが二人の視線を何度も往復する。9分間が終わったとき、二人の関係が 何に変わったのかは、言葉では説明できない。音と映像でしか伝わらないものが、ここにある。